島の楽しい人々「島に暮らす面白くって楽しい人達紹介します。」
Paysan求さんご夫妻
神戸から大島へ、天然酵母パンを石窯で焼いて販売。
大島で、天然酵母パン工房を営む求さんご夫妻。求という苗字、このあたりにはないですよね。それもそのはず神戸出身の方なのです。それがなぜこんな小さな島へ…。きっかけは阪神大震災で被災。震災で都会のもろさ、食べ物の大切さをつくづく思い知らされることになったのです。それで和歌山へ移り住み、知り合いのパン工房で働きながら、田舎暮らしができる場所を探していました。そして、偶然、いや必然だったかもしれない。島のこの家を見つけたのです。それを格安で購入。
しかし、最初は楽しい田舎暮らしというわけにはいきませんでした。田舎に住んでもなにもできない。農業をするにしても土地がいる。仮に農業をはじめたとしても収穫までどうする?ご主人の光章さんは、働きに行かざるをえなくなりました。造船所や大工、漁師の手伝い…。様々な仕事を…。しかし、これではなんのためにここに来たのかわからない…。なにか自分のできることで自立したい。ならば、パンを焼こう!和歌山での経験を生かし、パン屋をしよう。しかし、絶対人口の少いこんな田舎でパンを売って生活ができるのか?どうやって広めるのか??マイナスなことを考えればきりがない。でも奥さんの後押しでとにかく始めることに!
地元の人達だけに売っていたのではおそらく無理だろう。ならば遠くからでも買いにきてくれるような、本当においしい本当に安全なパンを焼こう。それにはやはり天然酵母、そして味に深みの出る焼成が可能な石窯にしよう。まず、石窯作りからとりかかりました。もちろん光章さんは、勤めに行きながらの作業になります。地元の陶芸家や多くの仲間に支えられ、1年近くかかって石窯(レンガ窯)完成。干し葡萄から天然酵母を培養。これでパンが焼ける。
島に移り住んでから4年。やっとパン屋Paysanをスタートしました。Paysanとはフランス語で農夫という意味。当初の想いをお店の名前にしました。
光章さんは、勤めに行きながらのパン作り、天然酵母で石窯ということもあり非常に効率が悪い。せいぜい週に1回焼くことができればいい方です。でもこれを崩しては、ここでパンを焼いている意味さえもなくなる…。地元ではそこそこ売れ、口コミですこしずつ広がっては来たのだけど、これだけで生活できない…。勤めをやめることはできない…。
そんな時知り合ったのが「メイドインしまなみ」というネット通販サイトを運営しているスタッフの方。しまなみ海道や松山のおいしいものだけをネットで販売していると言う。利益よりも、地元のおいしいものを全国に紹介したい、広めたいという想いが求さんご夫妻の意識にちょうどはまったのです。ということで取り扱ってもらうことに。週に1回だけの発送ということだけど、それでもそこそこ売れるようになりました。奥さんは出張販売もしたり、そして自分達でもサイトを作り販売運営するようになりました。
ネットではある程度売れ、まずまずというところ。それよりも驚いたのはその宣伝効果。掲載してからすぐになんとあの雑誌「自休自足」から取材の申し入れがあったのです。数ページに亘り特集を組んでもらい、なんと表紙にも…。
それから、多くのマスコミに取り上げられるようになったのです。遠くからわざわざ買いにこられる方、観光のついでに寄られる方、毎週必ず買いに来られる方。週2回だけの販売なのだけど毎回ほぼ午前中で完売という人気のパン屋さんになったのです。「約1年で軌道に乗ることができたのも、マスコミに取り上げられたり、運がよかった」と求さんは振り返ります。しかし、これは運ではないのです。夫妻の生き方、奥さんのセンス、パンのおいしさなど様々な要因がマスコミを動かす結果となり、人気のお店になったのです。しかも口コミでどんどん広がっているのです。自分達の信じたことを正直に表現し、ものづくりをすれば、多くの方に共感を得るということがご夫妻を見ていてわかりました。
Paysanは今でも週2回、木曜日と土曜日のみの販売。決して大きくしようとか、お金儲けをしようとかという考えはなく、まず自分達が気持ちよく生きていけること、そのことを最も大切にされています。それがお客様にも伝わりお客様も気持ちよくなっているようなのです。
開業から5年、奥さんのゆう子さんはそのセンスと行動力で、仲間と一緒に地元の情報紙を発行。年に1回のクラフト市場をはじめ様々なイベントを主催しています。子供達もたくましくのびのび成長しています。決して経済的に裕福ではないかもしれませんが、精神的、身体的に裕福で贅沢な生活がここにあります。